1993年の春、文化庁在外研究員としてパリに滞在していた折に訪れたイギリスの湖水地方のケズウィック。この時、娘は高校1年生になる年、和光中学校の3年生の最後の学期を休ませて研修に連れて行ってしまった思い出。
他の資料を探していたら、とつぜん、ケズウィックのケルト文化が降りてきた!
ケズウィックで描いたスケッチ、何枚かスケッチブックにあるぞ!
探してたのはこれ、ケズウィックの民家に見られるケルトの十字架、この時は「西洋における人体表現の研究」というテーマでフランスの地方、スペインとの国境などに点在するロマネスクの壁画や柱頭彫刻を巡る旅が目的でしたが、ケルト文化の素朴な造形に惹かれてイギリス北部を旅したのでした。
ケルトの十字架から10年後の2003年、私は武蔵美の在外研修員としてイギリスに長く滞在をしていました。その時に訪れたのがダブリンのトリニティーカレッジ、ケルズの書とダロウの書を見るためでもあったのです。その資料はこれからまたアトリエを引っ付かきまわして探さなければ、です。
下の画像はネットから拾ったダロウの書。そして先日に訪れた北海道立北方民族博物館での北方民族ナーナイの壁掛け。ダロウの書の文様とアイヌやナーナイの装飾文様と非常に似ていることに驚いているのです。
これについては、在外研修時の報告書を確認しながら、改めてまとめてみようと思います。
ダロウの書
ナーナイの壁掛け(北方民族博物館コレクション)
アイヌの装束(網走郷土博物館コレクション)