画家・内田あぐり AGURI UCHIDA

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「忘れることはない」 (2012)

text : 内田あぐり

 “51年9ヶ月と4日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった。”

 これは、ガルシア・マルケスの小説、[コレラの時代の愛]のなかにでてくる印象的な一節です。

 男が一人の女性のことを思い続けて、51年9ヶ月と4日目にやっと愛が成就するという、ある人間の生涯をかけた愛の物語です。マルケスの描く小説世界は魔術的リアリズムな虚構ですが、現実の世の中の男女たちにとっても、夢のように永遠に続く純愛は誰しもが思い描く理想の愛の形の1つではないでしょうか。それら愛の形は、家族であったり、友人であったり、仕事であったり、恋人であったり、様々でしょうが、こういった長く続く愛というものはどのような人にも等しく本当は存在しているのだと思います。

 私は画家ですから、すこし絵の話をします。

 私は45年間も絵を描いてきたわけですが、マルケス的に“片時も忘れられない”なんていうのはすこし気恥ずかしいのですが、それでも絵のことが頭から離れない、というよりも描くことそのものが、日常的に体に染み付いてしまっているようです。

 今は横が全長9m近い作品を描いています。この作品は今年(2012年)の夏頃からずっと続いているのですが、絵を描く以外に旅へ出たりいろいろ用事があって、すべてひっくるめて長距離を走りながらときおり立ち止まる感覚でしょうか。制作への過剰な感情移入は禁物ですが、むしろ自分の作品への批判、ほんの少しの失望と希望、そして愛憎を繰り返しながら、葛藤の中にある絵を描きつづけているわけです。和紙や膠、墨などの古くから何も変わらない素材は、ベストパートナーとして、そんな私の感情を覚醒させると同時に冷ましてくれる重要な役割を担ってくれます。私の絵画は人間の動くフォルムを追求することで、そこにある生命感を表現しようと思っているのですが、それと共にもう少し深い所にある、例えば人間の精神的なものや本質的なもの、不過視なものを見きわめたいと考えているのです。

 最近になって、人間は自然の一部に属しているという意識が強く、とりわけ原初的でローカルな風土の中で感受することができる生命の原動力を、探求せずにはいられません。

 それは、これからもずっと忘れられないものとなって、私のなかに蓄積されながら、絵画に解き放たれていくことでしょう。

 あたりまえのことですが、画家の生涯をかけた愛とは、絵を描き続けていくことだと思うのです。

 2012年 12月 葉山にて

 内田 あぐり

“内田あぐり個展−愛に関する十九のことば”カタログより

※ ガブリエル・ガルシア・マルケス:コロンビアの作家・小説家。作品に「百年の孤独」「コレラの時代の愛」など。1982年にノーベル文学賞受賞。

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